株式会社Athdemy(Athdemy Inc.)

Journal

なぜ、私たちは「対話」ではなく「Dialog」と呼ぶのか

20260824

文:中山 知之|Tomoyuki Nakayama(取締役CCO)
監修:伊藤 慧|Satoshi Ito(Research Fellow)

Athdemy Institute Concept Note 01

※本稿は、Athdemyがアスリートとの実践を通して形成してきた「Dialog」の思想と、現時点における定義を示すものです。

0. はじめに

Dialogという言葉を、私たちはあえて使っています。日本語の「対話」を、ただ英語に置き換えたいわけではありません。新しい言葉をつくり、目新しさを演出したいわけでもありません。私たちが現場で続けてきた営みを、既存の言葉だけでは十分に表現できなかったからです。

Athdemyは、これまで数百名のアスリートと対話を重ねてきました。そこで行ってきたことは、コーチングとも、カウンセリングとも、メンタルトレーニングとも、少し違うものでした。

雑談でもなければ、インタビューでもありません。目標を決めることもあります。悩みについて話すこともあります。過去を振り返ることも、次の行動を考えることもあります。

けれど、そのどれか一つを目的にしていたわけではありません。

私たちが一貫して向き合ってきたのは、その人が何を考えているのか。そして、その思考が、どのような問いから生まれているのかということでした。

長い間、その営みには名前がありませんでした。

1. 現場で続けてきたことに、名前が付いた

何が違うのかを一つの言葉で説明しようとすると、いつも何かがこぼれ落ちてしまう。そんな感覚がありました。

ある時、スポーツの現場とクリエイティブの両方を起点に、そのあり方を既存の枠組みから捉え直してきた河内一馬さん(vennn Inc. CEO)に、私たちが選手とどのように向き合い、何を考えながら問いを組み立ててきたのかを話しました。

なぜ既存の言葉では、納得しきれないものが残るのかについても伝えました。

河内さんは、その場で答えを出しませんでした。一度持ち帰り、時間をかけて咀嚼したうえで、数週間後に一つの言葉を提案してくれました。

「Dialogという言葉で、この営みを表せるのではないか」

これまで説明しきれなかった営みの輪郭が、一気に見えたように感じました。対話を専門にしてきた自分には思いつかなかった、それでいて、これまでの実践を過不足なく表す言葉でした。

すでに現場に存在していた営みを、河内さんが異なる視点から捉え、社会と共有できる言葉へと翻訳してくれたのだと思います。この過程そのものもが、Dialogを象徴しています。

人の思考を探求してきた私自身が、異なる専門性を持つ人との対話によって、自分だけではたどり着けなかった言葉に出会ったからです。

では、なぜその言葉が「Dialog」だったのでしょうか。

Dialogは、私たちがゼロからつくった造語ではありません。
英語では、一般的に人と人が言葉を交わすことを表す言葉です。

私たちがこの言葉に惹かれたのは、それが一つの専門的な手法だけを指す言葉ではなかったからです。

選手と向き合う現場では、目標や行動について考えることもあれば、苦しさや過去の経験を扱うこともあります。コーチングに近く見える時間も、カウンセリングに近く見える時間もあります。

しかし、私たちが行ってきたことは、それらを都合よく組み合わせることではありませんでした。

どのようなテーマを扱う時にも、その人に合う問いを探し、その人自身の思考をともに探求する。その一貫した営みがありました。

その営みは、既存の専門領域のどれか一つに収まるものではありません。

対話、Dialogue、Conversation、Inquiry、Reflectionなどの近接する言葉とも改めて比較し、最も適していると考えたのが「Dialog」でした。

だから私たちは、一般的な英単語をそのまま借りたのではなく、現場で積み重ねてきた営みに明確な定義を与え、固有の概念として「Dialog」と表記することにしました。

2. Dialogとは、何か

Athdemyでは、Dialogを次のように定義しています。

Dialogとは、
最適な問いを通して、その人自身の思考をともに探求し続ける営みである。

ここでいう「最適」とは、誰にとっても正しい唯一の問いではありません。その時点のその人が、自らの思考を探求するための問いです。あらかじめ正解として特定できるものではなく、Dialogの中で、ともに探していきます。

そのために必要なのは、二つです。

1. その人が向き合おうとしている目的に合っていること。
2. その人の思考特性に合っていること。

思考特性:その人を固定的な型に分類するものではなく、思考が動きやすい方向や傾向を捉えるためのもの。

過去から順番に振り返ることで考えが深まる人もいれば、未来の姿を描くことで現在が見えてくる人もいます。事実を整理することで言葉が生まれる人もいれば、感情からたどることで自分の考えに気づく人もいます。

そのため、ある人の思考を深める問いが、別の人にも同じように働くとは限りません。

私たちは、問いが、その人の思考と視線の向かう先を大きく左右すると考えています。しかし、その方向がその人に合っているかどうかは、問いの鋭さや、一般的な正しさだけでは決まりません。

本人だけでは見えにくい前提を捉えるために、第三者の視点や、データを含む専門的な知見が手がかりになることがあります。

それは、正しい答えを外から与えるためではありません。その人が今、どの問いと向き合うべきなのかを、ともに探すためにあります。

3. ほかの営みとの違いから、Dialogを考える

Dialogの輪郭を明確にするために、ほかの対話的な営みとの違いを考えてみます。

雑談、ディスカッション、ディベート、インタビュー、コーチング、カウンセリング。それぞれに多様な理論や実践があり、実際の会話の中では、互いに重なり合うこともあります。

ここでは、それぞれを排他的に定義するのではなく、一般的に中心に置かれる機能や目的を整理します。

雑談
明確な結論や課題解決を必ずしも目的とせず、自由な言葉のやり取りを通して、場をほぐし、関係性や相互理解を育みます。

ディスカッション
ある主題について情報や意見を持ち寄り、理解や検討を深め、必要に応じて合意形成や意思決定を目指します。

ディベート
一定の論題について異なる立場から根拠を示して主張を組み立て、相互の論証を検証し、比較します。

インタビュー
特定の目的や主題に沿って問いを設け、相手の経験、情報、見解などを聴き取ります。そこで得られたものは、理解、記録、分析、伝達などに用いられます。

コーチング
クライアントとの協働的で思考を喚起するプロセスを通して、本人の可能性を引き出し、望む成長や変化、目標の実現を支援します。

カウンセリング
専門的な援助関係を通して、心理的な困難への対処や問題の予防・解決だけでなく、その人の成長やウェルビーイング、社会生活を支援します。

これらを並べて読むと、目標や成長を支援するコーチングが、最も身近で、その必要性を想像しやすいかもしれません。実際に、Dialogにも、目標を整理し、行動を考えるという点で重なる部分があります。

一方で、現場では、何を目指すのか、何が本当の問題なのかが、まだ十分に捉えられていないことがあります。

そのような時、Dialogは答えを急ぐ前に、その人が何について考える必要があるのかを、ともに探します。

これらの違いを理解するために、対話的な営みを二つの軸から眺めてみます。

一つは、会話が主としてどこへ向かうのかという軸です。
情報や結論、解決を得ることに重心を置くのか。それとも、その人がどのように考えているのか、思考そのものを探求することに重心を置くのか。

もう一つは、そこで用いられる問いの軸です。
広く用いることのできる一般的な問いなのか。その人の目的や思考特性に合わせて設計された問いなのか。

この二つの軸を重ねると、Dialogが何を中心に置く営みなのかが見えやすくなります。

※この図は、各領域の理論や実践を一義的に分類したものではありません。Dialogとの違いを考えるために、それぞれが一般的に置く重心を概念的に示したものです。

実際のコーチングやカウンセリング、インタビューの中にも、その人に合わせた問いや、思考を探求する時間は存在します。反対に、Dialogの中で情報を整理し、具体的な行動を考えることもあります。

違いは、どの要素を含むかではなく、何を営みの中心に置くかです。

Dialogが中心に置くのは、

その人の目的や思考特性に合う問いを探し、その人自身の思考をともに探求することです。

だからDialogは、ほかの営みを包含する上位概念でも、置き換えるための新しい手法でもありません。

Dialogでは、答えを探す前に、問いそのものを見直します。

4. 答えではなく、問いそのものを見直す

私たちは、問いが思考の向かう先を大きく左右すると考えています。

「どうすれば結果を出せるのか」と問えば、
方法や行動を考えます。

「なぜ結果が出ないのか」と問えば、
原因や不足を探します。

「本当は何を目指しているのか」と問えば、
目標そのものを見直すことになります。

問いが変われば、見える事実や解釈が変わり、選択肢や行動が変わることもあります。ただし、良い問いを与えれば良い答えにたどり着けるほど、人の思考は単純ではありません。

だからDialogでは、答えを急ぐ前に、いま置かれている問いを疑います。

結果が出ていない人に、本当に「どうすれば結果を出せるのか」と問うべきなのでしょうか。

自信を失っているように見える人に、本当に「どうすれば自信を持てるのか」と問うべきなのでしょうか。

問いには、すでに一つの解釈が含まれています。

「方法が足りない」「自信を持つ必要がある」。そうした解釈を含む問いが、その人の思考を知らないうちに狭めている可能性もあります。

いま考えるべき問いは、本当にこれなのか。
その人の目的や思考に合っているのか。
思考を開いているのか。
それとも、知らないうちに一つの方向へ閉じているのか。

Dialogで問い直されるのは、相手の答えだけではありません。
問いかける側が持っている前提もまた、問い直されます。

5. 良い問いは、良い思考を保証しない

同じ問いを受けても、すぐに深く考えられる人もいれば、言葉にならない人もいます。考えているように見えても、表面的な答えで終わることもあります。その違いは、単純な思考力や言語化能力だけでは説明できません。

これまで、どのような問いで自分と向き合ってきたのか。一つの出来事をどのように考え、自分の感覚や経験をどのように言葉にしてきたのか。そうした積み重ねは、その人が問いと向き合うあり方にも影響します。

食事は、口に入れただけで、そのまま身体に活かされるわけではありません。噛み、細かく分解し、消化・吸収する。その過程を経て、身体の中で使われるものになります。

問いもそれに似ています。

問いを受け取ることと、その問いを自分のものとして考えられることは、同じではありません。

その問いは何を尋ね、どのような前提を含み、自分の経験とどこでつながるのか。そうしたことを考えながら、外から与えられた問いを、少しずつ自分の言葉へと変えていく。

それが、問いを思考の中で消化する時間です。

そのため、問いを受けた瞬間に、答えが生まれるとは限りません。問いを受け取ることと、自分のものにすることの間には、時間があります。Dialogは、その時間を省略しません。

だからDialogでは、沈黙を失敗とは考えません。

すぐに答えが出ないことは、思考が動いていないことを意味しないからです。

むしろ、簡単には言葉にならない場所にこそ、まだ輪郭を持たない問いが残っていることがあります。

Dialogは答えを保証しません。できるのは、その人が自分の思考を探求するための問いを、ともに見つけることです。

6. なぜ「探求」なのか

Dialogによって考えが整理され、行動が決まり、問題が解決することはあります。しかし、答えが出たところで、Dialogが完了するわけではありません。

人は常に変わります。環境や役割、目指すものも変わります。以前は納得していた答えが、今の自分には合わなくなることもあります。

探求とは、答えを出さずに迷い続けることではなく、その時点での答えを持ちながらも、それを最終的な正解として固定しないことです。

経験を重ねるたびに答えを捉え直し、必要であれば問いそのものも更新する。

Dialogは、人の思考が変化し続けることを前提に、問いと答えを更新していく探求です。

7. わからなさに、立つ

Dialogを成立させるために、私たちが大切にしている姿勢があります。

それは、目の前の一人について、すでにわかっているという立場から始めないことです。

通常、専門家は「わかる側」に立ちます。知識と経験によって問題を理解し、より良い方向へ導く。そのこと自体に、専門性の価値があります。

私たちにも、これまでの実践から得た知識や経験、診断データ、数百名のアスリートとの対話から生まれた仮説があります。

しかし、過去の誰かを理解したことと、目の前のこの人を理解していることは、同じではありません。

知っていることを捨てるのではない。
知っていることで、相手を閉じない。

経験は、目の前の一人を理解するために使います。目の前の一人を、過去の経験に当てはめるためには使いません。

だから私たちは、知識や経験を持ちながらも、あえて「わからなさ」の側に立ちます。

何が本当の課題なのか。本人は何を望んでいるのか。どの選択が、その人にとってよいのか。それらを、こちら側で先に決めない。

仮説を持つ。
しかし、答えとして持たない。

人に関わる時には、善意から生まれる前提があります。

競技へ戻った方がよい。結果を出した方がよい。自信を持った方がよい。しかし、目の前の一人にとっても、本当にそうだとは限りません。

長い間競技へ戻れていない選手が「戻りたい」と話していたとしても、その言葉を出発点に、復帰する方法だけを考えるとは限りません。

本当に戻りたいのか。戻らないという選択は、その人の中に存在しているのか。

その言葉は、本人の願いなのか、周囲の期待を受け取ったものなのか。

「本人のために」という善意が、本人の選択肢を狭めることがある。

だからDialogでは、本人にとって望ましいと思う場所へ、相手を連れていこうとはしません。深く向き合う。しかし、相手の人生を自分の課題にはしない。

その人の人生は、その人のものである。

この距離は、冷たさではありません。本人が考え、選び、その選択を引き受けることへの尊重です。

相手が話した言葉も、すぐに完成された答えとしては扱いません。その言葉は、本人の実感から生まれたものなのか。本人は納得しているのか。誰かから受け取った言葉ではないか。

相手の言葉を疑うのではない。
言葉だけで、相手をわかったことにしない。

そして、問い直されるのは私たち自身の解釈も同じです。なぜ、そう捉えたのか。本当にそう言えるのか。別の可能性はないのか。

理解を深める。
しかし、理解を閉じない。

専門性とは、答えを多く持っていることだけではありません。

自分が持っている答えや解釈を、必要な時に疑えること。既存の理解では捉えきれない一人に出会った時、自分たちの側を更新できることもまた、専門性だと考えています。

既存の理解に当てはまらない一人は、例外ではありません。

その人は、私たちの理解を更新する存在です。

わからなさは、専門性が不足している証明ではなく、目の前の一人を、まだ決めつけていないということです。

Dialogを受ける人だけが、探求の中にいるのではありません。
問いを置く私たち自身もまた、わからなさに立ち、同じ探求のプロセスにいます。

8. Dialogという輪郭

「対話」という言葉は、広く、豊かな言葉です。

私たちが「Dialog」という表記を使うのは、その言葉を否定するためではありません。現場で続けてきた営みの目的と、大切にするものを明らかにするためです。

Dialogは、対話を英語に置き換えたものではありません。それは、問いの技術だけでなく、目の前の一人に向き合う姿勢までを含む営みです。

・答えを与えるのではなく、問いそのものを見直すこと。
・一般的に良いとされる問いではなく、その人の目的と、その人の思考特性に合う問いを探すこと。
・一度の答えで閉じることなく、問いとともに思考を探求し続けること。

私たちは、この営みを「Dialog」と呼びます。

この定義を、完成された唯一の正解として提示するつもりはありません。

現場で積み重ねてきたものに輪郭を与え、これからも検証し、問い直し続けるために、現時点の定義を置きました。

私たちは、Dialogを完成させたいのではなく、Dialogという営みを、社会とともに育てていきたいと考えています。