Dialog Code
『自分の可能性を、自分が一番信じている──0.1秒を削り続ける挑戦』 #加藤理 Dialog Code
2026/9/23

「対話が変われば、スポーツはもっと変わるのか?」
『Dialog Code』
強くなるために必要なのは、トレーニングや技術だけではない。アスリートが自分自身と向き合い、考え、気づくことで、次のステージへ進む鍵を探る対話記録。
今回登場するのは、
加藤 理(水泳選手・ハッピーレシピ所属)
【Before Dialog】
水泳は、結果が数字ではっきりと示される競技だ。0.1秒の差が順位を分け、そのわずかな差を縮めるために、何十時間、何百時間という練習を積み重ねる。それでも、努力した分だけタイムが縮まるとは限らない。そんな世界で、加藤理は長く自分の可能性を追い続けてきた。調子が良い日もあれば、身体が思うように動かない日もある。結果が出ない時期もあれば、周囲から競技を続けることについて言葉を向けられることもある。それでも、その時点の自分を限界だとは決めつけない。今日の状態なら何ができるのか。結果に表れなくても、どこに成長を見つけられるのか。そして、この先どこまで行けるのか。置かれた状況の中で、次に進むための答えを探してきた。誰かに可能性を証明してもらうのではなく、まず自分がそれを信じる。練習では時に身体に異変が出るほど自らを追い込み、それでも設定した基準を上回ることで、「まだできる」という感覚を積み上げてきた。なぜ、そこまで自分自身に期待し続けられるのか。数字だけでは測れない成長をどう捉え、0.1秒のために何を積み重ねているのか。そして、その先にどんな景色を見ようとしているのか。さあ、彼の思考を紐解いていこう。
【Code.1 - STATE】追い込まれるほど景色が見える───興奮と冷静さが同居する状態
中山:
レース中、判断がうまくいっている時のご自身の状態を、一言、もしくは短い文章で表すとしたら、どのような言葉になりますか?
加藤:
無双状態、興奮状態です。
中山:
具体的には、どのような状態なのでしょうか?
加藤:
調子がいい時には周りがスローモーションに見えるという話が他の競技でもありますよね。水泳にもそれに近い感覚があります。
僕の種目は50秒から1分前後で完結します。その間ずっと腕を回して、キックも打ち続けるので、身体を激しく動かしながら頭でも判断するのは簡単ではありません。でも調子がいい時は、その短い時間でもスローモーションのように感じられるんです。興奮はしていますが、その中に冷静さもあっていろいろな判断ができています。
中山:
レース中は、何を見ながらどのような判断をしているのでしょうか?
加藤:
水泳は個人競技ですが、隣の選手との駆け引きもかなりあります。背泳ぎは上を向いて泳ぐので、隣の選手が少し視界に入るんです。自分より前にいるのが見えると、どうしても慌ててしまうことがあります。
でも調子がいい時は、ターンのように一瞬動きが切り替わる場面でも、自分がどこにいて、壁までどれくらいの距離にいるのかが3Dのように見えてくるんです。このタイミングで回れば壁との距離がぴったり合うとか、このままいけばタッチが合うなど、そういうものが自然に浮かんできます。壁まで残り数メートルとなる中で、どのタイミングで足を蹴ればいいかまで頭の中に出てくるんです。周囲が立体的に見えて、その中で自分がどう動いているのかまで把握できる感覚があります。フローやゾーンに近いのかもしれません。
中山:
観客はカメラを通して見ているので、加藤さんと壁との距離を俯瞰して捉えられますよね。調子がいい時は、それに近い見え方なのでしょうか?
加藤:
そうですね。水泳は上から撮影されることが多いです。自分が泳いでいる姿を上から撮っているような映像が、頭の中に出てくるんです。
中山:
水泳では身体がずっと水に触れていますよね。水の感触や身体の動きにも、調子がいい時と悪い時で違いはあるのでしょうか?
加藤:
ありますね。タイム自体はそこまで大きく上下しないのですが、0.何秒というわずかな差なのに身体の疲労感はまったく違います。きつい時は、考える余裕がなくなっていくんです。たとえば100メートルなら、ターンしたときには残り50メートルです。その時点で「ちょっとまずい、きついな」と感じることがあります。そこから身体をぶらさずに頑張ろうと考えながら泳ぐことになります。逆に、自己ベストが出る時や調子がいい時は、タッチするときにそこまできつさを感じません。
中山:
調子が良くない時は、身体のきつさに意識が向くことで思考にも余裕がなくなっていくのでしょうか?
加藤:
そうですね。邪念というか、想定外の質問をされた時に焦ってしまう感覚と似ています。泳ぎながら、「まずい、どうしよう」と頭がパンクするような感覚です。
中山:
水泳の場合、泳いでいる途中で一度止まることや、その場でタイムを確認することもできませんよね。余裕がなくなったとしても、そのレースの中で修正するしかないときはどのように対処しているのでしょうか?
加藤:
抵抗をうまく減らせればある程度は速く泳げるので、まず身体をぶらさないことを意識します。あとは手や足で水を捉えるようにしていますね。たとえば、それまで手を70%、足を30%くらいの割合で使っていたとしたら、そのバランスを少し変えてみます。その瞬間の身体でできる最善を尽くします。
中山:
身体の使い方や感覚にアプローチして、その場で調整していくのですね。仮に100メートルのレースだとすると、ゾーンに入るのはどのタイミングなのでしょうか?
加藤:
水に入る前から分かります。
中山:
入る前から分かるというのは、具体的に何を感じているのでしょうか?
加藤:
身体の温かさですね。心地いい緊張感の中で、やっていること自体はいつもと変わらないのですが身体の温まり方が全然違います。
中山:
実際に体温が高くなっているというより、自分の感覚として心地よく温まっているのでしょうか?
加藤:
そうだと思います。ウォーミングアップをした後にベンチコートを着ると温かくなったり、低い温度のサウナに入ってじんわり身体が温まっているくらいの感覚が今の僕にとっては一番いい状態です。
アップを終え、レースの20分前くらいに招集場所へ行くのですが、その時点で身体がしっかり温まっています。そういう時は、早く泳ぎたいと思いますし今日は行けるなというのがすぐに分かります。

中山:
ウォーミングアップを終えた段階で、身体の反応も含めてその日の状態が分かるのですね。ただ、必ずしも毎回理想の状態に持っていけるわけではない中で、その状態に入りやすくするために準備の段階で意識していることは何でしょうか?
加藤:
アップで泳ぐ距離などもある程度決まっているので、いつもと変わらない準備をするようにしています。ただ、レースを迎える時の疲労度は毎回違います。トップ選手は本番に向けて疲労を抜いていくことが多いのですが、僕はそれが合わなくてギリギリまである程度しっかり練習していた方が調子がいいんです。時間をかけて疲労を抜けば、その分パフォーマンスが上がるというわけではないんです。僕の場合は、身体の疲労を完全に抜こうとするより、気持ちを落ち着かせるくらいの感覚で調整しています。
中山:
アップを終えた時点で、違和感を感じることもあるのでしょうか?
加藤:
少し身体がきついなと感じることはありますね。ただ、これも他の選手とは少し違うかもしれないのですが、僕はあまり波がないんです。ある程度安定したタイムで泳げますし、性格的にも浮き沈みがそこまで大きくありません。
身体がきついと、今日は泳ぎたくないと思う選手もいますよね。でも僕の場合は、むしろこんな状態でベストが出たら面白い、これだけきつい中でタイムが出せたら次は絶対ベストが出るだろうと考えるんです。ただ泳ぐだけではなくて、自分でその日の目標を立ててそれを超えられるようにしています。
やはり身体が先にきつくなると、精神的にもきつくなってきます。そこでまずいと思った瞬間に、身体も止まってしまう気がするんです。そうならないように、その日の状態に合わせて目標を設定します。
たとえば最終的な目標が53秒だったとしても、今日は自己ベストより0.何秒か遅いタイムでも、ここまで出せたら次は絶対にベストが出ると考えます。目の前の基準をつくっているので、他のトップ選手と比べてもタイムの浮き沈みはかなり少ない方だと思います。
テニスや野球のように、与えられた場所である程度勝ち続ける競技の方が向いているのかもしれないです(笑)。でも水泳は一発勝負です。極端に言えば、ローカル大会でオリンピックの金メダルを上回るタイムを出したとしても、それだけでオリンピックに行けるわけではありませんからね。
中山:
大事な一発勝負で数字を出さなければ記録や結果にはつながらない中で、当日の状態に合わせて目標を微調整しているのですね。自己ベストが出る時は疲労感やきつさをあまり感じないとおっしゃっていましたが、水に滑らかに入っていくように、気持ちよく身体が動いている感覚はあるのでしょうか?
加藤:
ありますね。タイムを競う競技なので、もちろん後半になれば失速はします。ただ、その中でも自分ではきついと思わずに泳げるんです。むしろ、もう一段ギアが上がるような感覚があって、このまま行けると思いながら最後まで泳ぎ切ってタッチできます。
サッカーで例えるなら、相手と全力で競り合って脳に酸素が届かない状況でも冷静に判断できる感覚に近いと思います。相手の方が本来はレベルが高かったとしても、その瞬間だけは自分の方に余裕があるように感じられます。身体は追い込まれているのに、頭の中には冷静さがあって相手を遊ばせるような状態ですね。
【Code.2 - EMOTION】憧れの選手は自分自身───期待を背負い、自分を超え続ける
中山:
レース前やレース中に生じる「緊張」や「不安」という感情は、加藤さんにとってどのような存在ですか?
加藤:
自分自身への期待です。
中山:
なぜ、そのような表現をされるのでしょうか?
加藤:
いろいろな期待はあるかもしれないですが、結局やるのも行動するのも自分自身です。もちろん、周りの声援に応えたいという気持ちもあります。でも、そればかりを考えていても自分のパフォーマンスを発揮できません。競技をしている時だけは、自分がどうしたいのかに集中しています。
水泳では1分前後のレースのために何十時間、何百時間と練習してきています。もちろん緊張感はあるのですが、それ以上に自分自身に期待したいんです。取材でも憧れの選手を聞かれることがあります。名前を挙げればキリがないですが、最終的には引退する時に自分にとっての憧れの選手は、自分自身だったと言い切りたいんです。そう考えたら、プレッシャーに押し潰されているようでは、自分が憧れるような選手にはなれません。だからこそ、自分が自分でいられるようになりたいと思っています。
中山:
自分に期待することは、加藤さんにどのような影響や力を与えていると思いますか?
加藤:
ワクワク感もありますし、成長にもつながっていると思います。毎回自己ベストを出すなんて絶対にできないじゃないですか。それができたら、もう人間ではないと思うので(笑)。だからこそ、僕は自己ベストだけを求めるのではなく、常に高いパフォーマンスを発揮し続けられる選手でいたいんです。
そのために、その日の状態に合わせて目標を立てています。今日はこのくらいを目指そう、ここを超えられたら次につながるというように自分自身に期待をかけています。僕はレースより練習の方が緊張するのですが、練習でもレース形式でタイムを測ることがあり、100メートルを1本測定するメニューがあります。普段は周りもアップをしていたりして誰かが見ているわけではなかったとしても、吐き気がしたり手がしびれたりするくらいまで自分を徹底的に追い込みます。このタイムを出せなかったら水泳を引退しようとか、言葉は悪いですが、こんなタイムで泳ぐならやる意味がないというようにもう一人の自分がプレッシャーをかけてくる感覚です。
ただ、実際に泳ぐと僕の場合はそのプレッシャーを上回るタイムを出せます。そこで、「ほら、できるじゃん」と思えたり、練習でこれだけできるなら多少調子が悪くても大丈夫だろうと自分の行動が自分への期待をさらに上回ってくれるんです。だからこそ、レースになってどれだけプレッシャーがかかって緊張しても、萎縮することがないのだと思います。
中山:
加藤さんにとって一番の強敵は、自分自身なのかもしれないですね。
加藤:
そうですね。周りから向けられる期待よりも、練習で自分自身にかけている期待の方が大きいです。なので、練習の1本にかける質は日本でもトップクラスだと思っていますし、そこは自分の強みだと思います。
中山:
そこまで自分にプレッシャーをかけるようになったのには、どのような背景があったのでしょうか?
加藤:
大学の環境が大きかったです。当時、インカレで戦える選手が周りにほとんどいなかったんですよ。高校までは水泳を個人種目として捉えていました。でも大学に入ると、強豪校には大人数という選手がいて、その中でも選ばれた選手だけがトップの舞台に立てます。応援も含めて、少数精鋭の自分たちと大人数の強豪校では大きな差がありました。大学の4年間で、このままでは勝てないと強く感じたんです。
では、人数が少ない環境でどう戦うのかを考えた時に、まず自分自身を変える必要があると思いました。自分で自分を奮い立たせるために、仕事でいうノルマのようなものを自分に課すようになったんです。ただ与えられたノルマではなく、それを圧倒的に上回るノルマです。周りから無理だろうと思われるくらいの目標を設定して、それをクリアできないなら水泳をやる意味がないと思うくらいまで自分を追い込むようになりました。
そういう意識が生まれたのは大学の途中からなのですが、本格的に自分に高い基準を課せるようになったのは社会人1年目ですね。自分のやりたいことがお金になるようになって、そこに対する責任感が芽生え始めました。
中山:
自分への期待が大きくなりすぎれば、そのプレッシャーに押し潰されてしまう人もいると思います。加藤さんは吐き気や手のしびれが出るほど自分を追い込み、さらに期待をかけて、それを超えようとしています。そこまで自分を追い込めるエネルギーの根本には、何があるのでしょうか?
加藤:
僕が島根県出身だということも大きいと思います。島根県出身の選手が日本代表になったのは30数年ぶりで、それだけ長い間隔が空いていたんですよ。東京や大阪なら、毎年日本代表が出てもおかしくないかもしれません。でも、僕はそうではない環境で育ってきました。だからこそ、自分のためだけではなく地元に対する責任感もあります。自分がやっている姿を見て、「こいつにできるなら自分にもできるかもしれない」と思ってもらえたら嬉しいです。そう考えると、中途半端なところでは終わりたくないんです。
先ほども話したように、最後は自分自身を憧れの選手だと思えるようになりたいと思っています。僕が憧れてきた選手たちは、途中で諦めないですし、完璧ではなくてもここぞという場面でしっかりパフォーマンスを発揮できる選手です。野球で例えるなら、毎年ホームラン王になるような選手でなくてもいいんです。もちろん大谷翔平選手のような、毎年圧倒的な結果を出す人は別ですが(笑)。
一発屋のように結果を出すのではなく、「加藤はやっぱり強い」と思ってもらえるような証明をしたいですね。今も上の年齢の方で競技を続けさせてもらっていて、周りが引退していく中でも、加藤はまだいるんだな、表彰台の常連だなと思ってもらえるような安定感を持った選手が自分の理想です。

中山:
自分への期待がある一方で、周囲からの期待も感じると思います。世界大会や代表選考のように舞台が大きくなるほど、期待の種類やそれとの向き合い方は変わるのでしょうか?
加藤:
もちろん、応援の濃さは変わります。ローカル大会や通常の全国大会なら、「頑張って、応援しているよ」という感じだったものが、世界大会になると周りの力の入り方も変わってきます。そういう意味でのプレッシャーは感じますね。
ただ、日本代表になった時はそれ以上に日の丸の重さを感じました。僕は背泳ぎなのでリレーでは1泳を任されていて、後ろに3人の選手がいました。その3人に迷惑をかけたくないという気持ちが強かったです。ポジティブに考えれば、自分がいいタイムで泳げば、後ろの3人を有利な状況で送り出せるという考え方もしていました。
オリンピック選考会も、普段の日本選手権とは空気がまったく違います。普段ならもう少し和やかな雰囲気があっても、オリンピックが懸かると一気に緊張感が増します。決勝に残った8人から気迫を感じるんです。
自分にはまだ少し足りない部分だと反省しているのですが、オリンピックや日本代表が懸かった場面では、何が何でも、誰かを蹴落としてでも自分が代表になるんだという気持ちになります。普段のレースでも自己ベストを出したいという思いはありますが、代表選考になると、それ以上に自分が行きたいという気持ちが強くなるんです。プレッシャーに意識が向くというより、自分がいい泳ぎをして絶対に代表になるんだという方向に気持ちが切り替わります。だからこそ、むしろ集中できているのかもしれません。
中山:
大舞台では、緊張やプレッシャーの種類自体が少し違うのですね。
加藤:
そうですね。むしろ僕は、ローカル大会の方が緊張するんですよ。
中山:
それはどうしてでしょうか?
加藤:
県大会になると、見られ方が違うんです。ホームということもあって、普段から応援してくださっているコアな方がたくさんいる中で泳ぐことになりますし、注目度も高くなります。
僕の場合、県大会だと周りとの実力差がかなりあるので、勝って当然のように見られる部分もあるんです。そういう環境の方が、みんなに見られているなと感じて緊張します。
なので一番苦手なのは、市民大会のような大会かもしれません。スマートフォンのカメラを向けられているのもよく見えるからです。逆に全国大会になると、スタート直前までカメラがかなり近くに来ます。背泳ぎならスタート位置の斜め前くらいまで来るのですが、注目されるのはオリンピックに出たような選手たちです。そうなると、誰も自分を見ていないくらいの感覚になれるので楽なんですよ。
中山:
追われる側より、ダークホースのような立場の方がやりやすいのですね。
加藤:
まさにそうですね。
【Code.3 - COGNITION】タイムの外側にもある成長───自分を育て続ける視点
中山:
加藤さんにとって、水泳という競技はどのような「ゲーム」だと捉えていますか?
加藤:
ポケモンのような成長ゲームです。
中山:
そう表現されたのは、なぜでしょうか?
加藤:
水泳は団体競技の側面もありますが、結局泳ぐのは自分です。だからこそ、練習の質をどう上げるか、反復の中でどう再現性を高めていくかは自分自身にかかっていると思います。
ポケモンは、相手と戦いながらレベルアップしていきますよね。ゲームをしている側が何を与えるかによって、攻撃力が上がったり防御力が上がったりします。その選択によって、育ち方が変わります。
水泳も同じで、精神的にはすごく強くなったのに本番ではタイムが出ない選手もいます。まったく緊張しないのに結果が伴わないこともありますし、逆に安定感はなくても一度大きな結果を出して注目される選手もいます。自分自身で競技に向き合いながらも、周囲からどんな影響を受け、何を選択していくかによって、成長の仕方は変わると思います。
中山:
水泳にはタイムという分かりやすい数字がありますよね。一方で、長く競技を続けているからこそ感じられる変化もあると思います。タイムだけでは測れない成長を感じるのは、どのような時でしょうか?
加藤:
強いて言うなら、考え方ですかね。高校生の頃は思春期だったこともあるかもしれませんが、タイムが良くても悪くても感情があまり安定していませんでした。でも競技レベルが上がっていくにつれて重圧が増える一方で、考え方はかなり変わりました。僕の場合は、以前よりポジティブになりましたし、上のレベルに来たからこそ、もっとトップに行きたい、もっと結果を出したいと思えるようになったんです。目標が手に届きそうなところまで近づいてくると、これまで歩いてきた道の先が見えて、もう少し走ろうと思えるような感覚があります。
あとは、行動も変わりました。今は常に頭の片隅に水泳があります。もちろん、おいしいものも食べますが、大学生の頃までは全国大会で決勝に残るのがやっとというレベルだったので、そこまで食事を気にしていませんでした。今では、これを食べたいと思っても一度立ち止まって考えるようになりました。脂質が高いから競技に支障が出るかもしれないなど、水泳を基準に判断することが増えています。
それが成長なのかは分からないですが、水泳で勝つための考え方にはつながっていると思います。何も考えずに行動するのではなく、一度立ち止まれるようになったのは大きな変化ですね。
中山:
たとえばサッカーのような競技であれば、ボールを扱う技術や駆け引きなど変化が比較的分かりやすいですよね。一方で、水泳は同じ身体で同じ水の中を泳ぎ続ける競技にも見えるのですが、競技を続けていく中で新しい技術や感覚が身についたことは何でしょうか?
加藤:
大学から社会人にかけて大きく変わったのは、ウェイトトレーニングですね。水中以外のトレーニングを増やすことで、身体つきも変わってきました。ただ、競技を長く続けるほど、毎日エンジン全開でやるわけにはいかなくなるんです。だからこそ、いかに力を抜きながら高いパフォーマンスを出すかも一つの技術だと思っています。
以前は全力で出していたタイムを、今は8割ほどの感覚で同じタイムでこなせれば、それも一つの成長ですよね。全力で泳いだ時のタイムだけではなく、少し力を落として泳いでも以前と同じタイムが出ることがあります。
中山:
自己ベストが出る時は限界以上の力を出したから速くなれたと考えがちですが、必ずしもそうではないということですね。
加藤:
まさにそうですね。特に水泳はタイム競技なので、楽に泳いでいるのにタイムが速いというのは技術が上がっている証拠だと思います。特に社会人になってから、そこはすごく感じます。これを新しい技術と呼ぶかは分からないですが、技術力自体は確実に上がっています。
もちろん、ただサボっているというわけではありません。僕はサッカーにそこまで詳しくないですが、たとえばリオネル・メッシ選手が試合中ずっと全力で走っているわけではないですよね。これまで培ってきた技術を最大限生かして、本当に必要なところで走っているのだと思います。経験が浅ければ、ずっと全力で走ってボールを要求するかもしれません。
水泳も同じです。練習では、プルブイを挟んで上半身だけで泳いだり、下半身だけを使ったり、それぞれの動きを分けて確認した上で、最終的に全身を連動させて泳ぎます。その中で、いかに楽に速く泳げるかを考えるようになったり、以前と同じタイムで泳いでも心拍数がそこまで上がらなくなるなど、少ない負荷で同じパフォーマンスを出せるようになってきました。そういったところに、技術が向上している実感があります。

中山:
水泳はタイムで結果が示される競技ですが、毎回自己ベストが出るわけではありません。数字に結果が表れない時、加藤さんは何をもって自分の成長を感じていますか?
加藤:
たとえば、自己ベストが出なかった時でも、ネガティブになる選手とポジティブに受け止められる選手に分かれますよね。僕自身タイムが出なかったとしても、次の日に起きてプールへ行こうと思えるかどうかはすごく大事だと思っています。タイムは出ていないけれど、それでも水泳が好きだから行きたいと思えるのか。それとも、もう行きたくないで終わってしまうのか。それだけでも成長は全然違うと思います。
いろいろなトップレベルの指導者も、競技レベルに関係なくどれだけポジティブな気持ちでプールに足を運べるかが大事だと話しています。僕も、まさにその通りだと思います。タイム競技だからこそどうしても数字だけを見てしまいますが、どういう気持ちでプールに来られるかも一つの成長だと思います。
これは仕事における営業にもすごく似ているなと感じます。営業でも、毎回社内記録を更新できるわけではないですよね。数字が出なかったとしても、自分のプランに対して前向きな気持ちで取り組んでいる人の方が、周りも応援したくなると思うんです。逆に、ノルマを達成できなかったからといって毎回暗い顔をしていたら、周囲からの応援のされ方も変わってくると思います。
僕自身も、そこが変わってから本当にたくさんの方に応援してもらえるようになりました。応援してくれる人が増えているということは、自分の行動も大きく間違ってはいないのだと思えます。だからこそ、周りにどんな影響を与えられているかも、成長を測る一つの指標になると思っています。
中山:
成長実感にもいろいろな種類がありますね。何を基準に見るかによって、捉え方は大きく変わりそうです。
加藤:
特にタイム競技は、タイムが出なければ成長していないと思われがちですからね。
中山:
でも、実際はそんなに単純ではないですよね。これはスポーツに限らず、仕事でも同じだと思います。視点を変えれば、本来見るべき成長が別のところにあるかもしれないからこそ、自分自身で成長を見つけにいく作業も必要なのかもしれませんね。
【Code.4 - VISION】一度途切れた道を、自分で選び直す───0.1秒の先に何があるのか
中山:
この競技を続けていった先に、どのような状態や景色に辿り着いていたいと考えていますか?
加藤:
自分の限界の先の景色を見てみたいです。水泳はタイム競技なので、0.1秒を縮めるために命をかけています。その0.1秒というとてつもない長い秒数を削るために、命の醍醐味を感じたいです。
中山:
自分の限界の先の景色を見たいというのは、なぜでしょうか?
加藤:
周りからは、もうやめた方がいいのではないかといろんなことを言われます。でも僕の中では、年齢だけで決めつけないでほしいという気持ちがあります。もちろん直接そう言い返すことはなくて、素直に受け止めています。
日本では、周りを引きずり落とすというか、自分軸で考えてそれに陥れる人がすごく多いと思うんですよ。一方で、アメリカのような国であれば、やりたいなら挑戦すればいい、人生は一度きりなんだからという考え方もあると思うんです。
次のオリンピックを迎える時、僕は33歳になっています。これまで日本の水泳界を引っ張ってきた北島康介さんや入江陵介さんのようなトップ選手でも、年齢を重ねる中でオリンピックに出場し続けることは簡単ではありませんでした。
僕は今、日本記録や世界記録を出してきた彼らと同じような実績があるわけではありません。だからこそ、これまで多くの選手が届かなかった年齢で自分がオリンピックに行けたら、その先にどんな景色が見えるのだろうと思います。それがすごく楽しみです。
中山:
今のお話には、加藤さんの生き方や信念がすごく表れている気がしました。一方で、31歳という年齢を考えれば、競技に区切りをつけるという選択肢もあると思います。それでも加藤さんは、2年後にどんな景色が見えるのかを楽しみにしています。その気持ちの源には、何があるのでしょうか?
加藤:
高校時代の僕はいろいろな学校からオファーをいただいていたのですが、島根県の出雲に残ったんです。田舎者なので、大学がどういう感じなのかも全然分からないまま、親が大学の書類に印鑑を押してしまったんですよ。
自分には行きたい大学があったのですがそこではないところに進むことになり、案の定19歳の時に大学を辞めて、自分で受け直して福岡大学に入りました。本当は関東の強豪校でやって、リレーで優勝したい、インカレで団体優勝したいという気持ちがありました。でも、そういう失敗が最初にあって、一回そこでくじけてしまったんです。大学に入り直してそこから日本代表になったトップ選手は、これまでほとんどいないと思うんですよ。そういう失敗を10代で経験できたことが、おそらく自分の強みでもあります。
また、大学を卒業する時も自分はまだ世界に通用するようなレベルではありませんでした。でも、やっぱり水泳を続けたい。一回失敗した分、後悔なくやりたいと思って、自分で環境を探して営業をかけて、鹿児島に移りました。最初にそういう失敗があったからこそ、他のトップ選手とは少し違う気持ちで競技を続けているのかもしれません。お金や地位、名誉といった外的な欲求もあるかもしれないですが、僕はあまりそういうものには興味がないです。そこが、自分の強さだと思います。
お金が欲しいからではなくて、純粋に水泳が好きなんです。身長170cmしかないこの身体で、どこまでチャレンジできるのだろうと思っています。

中山:
一度人生が途切れたような経験をしたからこそ、自分が何をしたいのかという欲求にまっすぐ向き合えているのですね。
水泳は、0.1秒を縮めるためにできることを積み重ね続ける競技だと思います。将来、競技の第一線から退く時に、どのような状態であれば自分は限界までやり切れたと言えそうですか?
加藤:
もちろん、結果を出して終われたら一番いいと思います。でも、未来がどう転ぶかは自分にも分かりません。もしオリンピックに行けなかったとしても、これまでの時間が無駄だったとは思わないです。
特に社会人になってからは、いろいろなことに気づかされました。早い段階で失敗したからこそ、競技を続けられる環境が当たり前ではないことも分かりました。自分はトップ選手ではなかったので、競技を続ける場所を自分で探す大変さや、水泳を続けられること自体の幸せや喜びをすごく感じています。
純粋な水泳小僧ではないですが、社会人になってからもやめたいと思ったことはありません。この先、オリンピック選考会までの時間の中で、水泳が少しでも嫌だと思うようになってしまったら、引退した時に後悔が残ると思います。でも今の気持ちのまま進めるなら、大丈夫だと思っています。結果だけではなく、そこまでの過程を大事にしたいですし、こんな自分でもここまでやってこられたのだと思えたら、それは自分にとって大きいと思います。
中山:
すごく加藤さんらしいなと思いました。今日お話を聞いていて、これだけ自分自身に期待し続けられる理由がよく分かりました。次のオリンピックに向けて、その期待をどこまで現実に変えていくのか、そしてその先でどんな景色を見るのか、これからの挑戦をすごく楽しみにしています。今日は貴重なお話をありがとうございました!
加藤:
ありがとうございました!
【After Dialog】
「最終的には引退する時に自分にとっての憧れの選手は、自分自身だったと言い切りたい」。対話を終えて振り返ると、この言葉に加藤理という選手の在り方が凝縮されているように思う。彼が信じているのは、いつでも最高の結果を出せる自分ではない。身体がきつい日も、タイムが伸びない時期も、一度思い描いた道から外れた経験もある。それでも、その時々の自分にできることを探し、昨日までとは違う成長を見つけながら、ここまで競技を続けてきた。決して最初から用意された道を順調に歩いてきたわけではない。だからこそ、水泳を続けられることを当たり前だとは思わず、誰かが示した基準だけで、この先の可能性を決めようともしない。
水泳においては、0.1秒という数字が残酷なほど明確に結果を分ける。しかし、彼が積み重ねているものは、タイムだけでは測れない。以前より楽に速く泳げること。結果が出なかった翌日にもプールへ向かえること。応援してくれる人が増えていくこと。そして何より、まだこの先の自分に期待できること。その一つひとつもまた、彼が捉える成長なのだろう。0.1秒を削った先に、まだ知らない自分がいる。その可能性を誰よりも信じ、楽しみにしているのはきっと彼自身なのだ。『Dialog Code』
答えは、すぐには見つからないかもしれない。それでも自分と向き合い、考え続けることが、次の一歩をつくる。思考を解き明かす対話は続く。次は、誰の思考に触れようか。

【Athlete Profile】
加藤 理(かとう・おさむ)
1995年5月8日生まれ、島根県出身。
水泳選手。ハッピーレシピ所属。
専門は背泳ぎ。福岡大学卒業後も競技を続け、社会人になってから国内トップレベルへと歩みを進める。2021年の日本選手権では50m背泳ぎ7位、200m背泳ぎ6位に入賞。翌年の日本選手権では100m背泳ぎで3位に入り、2023年のジャパンオープンでは100m背泳ぎ3位、200m背泳ぎ2位。28歳で初の日本代表入りを果たし、2024年の世界水泳選手権ドーハ大会に出場した。現在も国内トップレベルで競技を続けながら、さらなる高みを目指している。【Dialog Partner】
中山 知之(なかやま・ともゆき)
1995年1月26日生まれ、愛知県出身。
株式会社Athdemy 取締役CCO。
JFAアカデミー福島や世代別日本代表、海外リーグでのプレーといったアスリートとしての原体験を起点に、人間の「状態」と「パフォーマンス」の関係性を探求し続ける。異文化圏での教育コンサルタントや、国内大手不動産テック企業でのセールス/マネジメント経験など、多様な環境の中で「変化が生まれる構造」に向き合ってきた。現在はAthdemyにて、トップアスリートとの対話(Dialog)を通じて思考や感情に伴走。一貫して問い続けているのは、「人はどのような状態で本来の力を発揮するのか」。競技とビジネス、国内と海外といった境界を横断しながら、個人の内面にある思考や感情を言語化し、新たな気づきを共に生み出している。

