Dialog Code
『見えないコースで、最善を選ぶ──最高時速140kmの世界で挑む、ハイリスクな選択』 #川野隼 Dialog Code
2026/10/14

「対話が変われば、スポーツはもっと変わるのか?」
『Dialog Code』
強くなるために必要なのは、トレーニングや技術だけではない。アスリートが自分自身と向き合い、考え、気づくことで、次のステージへ進む鍵を探る対話記録。
今回登場するのは、
川野 隼(スケルトン選手・日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟所属)
【Before Dialog】
時速130kmを超え、体感速度は300kmにも達するスケルトンの世界では、一つの判断の遅れや操作のミスが、大きく結果を左右する。顔をほとんど上げられない状態でコースを滑り、身体にかかる重力やソリの動きから現在地を捉え、その瞬間に必要な操作を選んでいく。川野隼は、その状態を死と隣り合わせの緊張感の中での選択だと表現する。ただし、そこで下される判断は、その場の直感だけによるものではない。事前にコースを頭へ入れ、一つのカーブに対して複数のプランを準備する。レース前にはあえて緊張する状態をつくり、本番で冷静に滑るための準備をする。そして勝負どころでは、失敗する可能性があっても攻めることを選ぶ。最高時速140kmにも達する世界で、何を頼りに一瞬の判断を下すのか。緊張やリスクとどう向き合い、その経験を次の勝負へどうつなげているのか。そして、その先にどのようなスケルトンの未来を描いているのか。さあ、彼の思考を紐解いていこう。【Code.1 - STATE】死と隣り合わせの緊張感───見えないコースを感覚で捉える
中山:
レース中、判断がうまくいっている時のご自身の状態を、一言、もしくは短い文章で表すとしたら、どのような言葉になりますか?
川野:
「死と隣り合わせの緊張感の中での選択」です。
中山:
具体的に、どのような状態なのでしょうか?
川野:
滑っている時は集中しすぎていて、正直あまり記憶がないんです。ただ、状況によっての滑走プランはすべて頭に入っています。実際の滑走では、そこから直感的、本能的に判断して操作しています。
実際、一昨年くらいにスイスで滑っていた時、操作を失敗して反対側の壁にぶつかり、意識を失ったことがありました。130km/hほど出ている中で頭を打って、気づいた時には二つくらいカーブを通り過ぎていたんです。ゴールした後に確認したら、ヘルメットも割れていました。
たまたまヘルメットで守られましたが、当たりどころが悪ければ大きな怪我につながっていたと思います。そういう意味で、滑る前から緊張感はありますし、自分の操作次第で成功することも、失敗して終わることもあります。その中で危機管理能力のようなものが本能的に働いているのだと思いますね。
中山:
それだけのスピードと危険性がある中で瞬時に判断するために、事前の滑走プランはどのように組み立てているのでしょうか?
川野:
まずワールドカップなどの映像を見ます。ヘルメットにカメラをつけて滑った視線映像があるので、それを見ながら、右カーブ、左カーブといったコースのルートを覚えます。そのあと実際にコースを歩いて、全部ノートでチェックします。どのラインを通り、どのような操作をするのかというプランを自分でつくっていきます。
中山:
映像で確認するのと、実際にコースを歩くのとでは、得られる情報も違うのでしょうか?
川野:
違いますね。例えば氷の硬さです。それによって操作の強さも変わります。あとは、カーブがどこから始まっているのかは映像だと分かりづらいですし、実際のコースにはほかの選手が滑った跡も残っています。ここを通っているんだなと確認しながら、自分のプランを考えていきます。
中山:
そうして組み立てた滑走プランを頭に入れた上で、実際に滑っている時はどのくらいコースが見えているのでしょうか?
川野:
顔はほとんど上げません。上目遣いでコースを見るくらいなので、前はほとんど見えないです。なので、事前にコースを頭へインプットして、それぞれのコーナーへの入り方やタイミング、強打、長さまでほとんど暗記していきますね。
中山:
コースを暗記した上で、本番では身体が自動的に反応していくような感覚なのでしょうか?
川野:
そうですね。ただ、一つのコーナーに対しても3、4種類くらいプランがあるんです。カーブが十数個くらいある中で、絶対にこうしなければいけないという選択肢がそれぞれあります。それができないと怪我につながることもあります。
中山:
一つのコーナーに複数のプランがあるというのは、具体的にはどのような違いなのでしょうか?
川野:
普通の道路をイメージしてもらうと分かりやすいと思います。例えば左に曲がるカーブがあったとして、自分がコースの真ん中、左、右のどこにいるのかによって操作が変わります。左カーブに左側から入ってしまうと、鋭角に刺さるような入り方になります。そういう時は強く操作しないと、ソリの向きがコーナーに合いません。
あとはソリの向きもあります。カーブの方向にソリが向いた状態で入れば、抵抗が少なくスムーズに上がれます。逆を向いた状態から方向を変えようとすると減速しますし、危険な入り方にもなります。なので、操作のタイミング、強さ、長さの三つがすごく重要ですね。

中山:
最高時速140km/hほど、そして滑走時間も1分前後の中で、複数のプランから選び続けるとなると、滑走中は何を考えているのでしょうか?
川野:
あまり考えている感覚はないですね。スタート前にはプランを準備していきますが、実際にはそのプランどおりにいかないことが多いです。例えば1カーブでミスをすると、その影響を3〜5カーブまで引きずることがあります。
そうなった時のプランもありますが、最終的にはその場の状況によって切り替えていかなければいけません。プランはあるものの、滑りながらその場の操作で変えています。
中山:
事前のプランをベースにしながら、その瞬間の状況を感覚的に捉えて判断を切り替え続けているのですね。
川野:
そうですね。カーブの中では重力がかかって顔も上がらないので、本当に前が見えない状態です。レース中はソリにかかる重力が抜けた、入ったという感覚から、自分が今どこにいるのかを判断します。ほとんど目をつぶって車を運転しているような感覚ですね。重力を感じながら、今はこの操作をしなければいけないと判断して、カーブを出たところで実際の位置が分かるような感じです。
中山:
視覚だけではなく、身体で感じる重力や自分の位置のイメージを頼りに操作しているのですね。想像するだけでも恐ろしいです。
川野:
僕は得意ではありませんが、カーブの中で地面の線を見たり、横目でコーナーの上や下を見たりして自分の位置を把握する選手もいます。
僕はそういう視覚情報よりも、自分の感覚を頼りにするタイプです。130〜140km/hで滑っている中、一瞬見えなかっただけでパニックになってしまう可能性があるので、視覚だけに頼るのは難しいと思っています。
中山:
選手によって現在地を捉えるために使う感覚にも、そういった違いがあるのでしょうか?
川野:
基本的には全部必要です。目でも見ますし、音も聞きますし、身体の感覚も使います。いろいろな感覚を使って滑っています。コーチもよく言うのですが、カーブの中で自分がどこにいるのか分からない人もいるらしいです。そういう人には、この競技は向いていないですね。
中山:
自分がコース上のどこにいるのかをイメージできる、空間認知能力のようなものも重要になるのでしょうか?
川野:
はい、空間認知能力はすごく大事ですね。
中山:
川野さんは野球からスケルトンへ転向した経験があります。競技を始めた頃と比べると、滑走中の感覚や恐怖との向き合い方は変わりましたか?
川野:
不安はあまりなくなってきましたね。始めた頃はスピードも速く感じましたし、壁にぶつかった時の痛さも、それまで経験したものとは次元が違いました。野球のデッドボールとは比べ物にならないくらい、死ぬほど痛いんです。最初の頃は身体が紫色になって遠征から帰ってくることもありました。
ただ、操作を教えてもらっていくうちに壁にぶつかる回数も減って、綺麗に滑れるようになっていきました。始めた頃の感覚はあまり覚えていないのですが、とにかく壁にぶつかりたくないという気持ちは強かったので、必死にやっていましたね。
【Code.2 - EMOTION】自分だけの特権───前日に緊張し、当日は冷静に
中山:
レース前やレース中に生じる「緊張」や「不安」という感情は、川野さんにとってどのような存在ですか?
川野:
「自分だけの特権」です。
中山:
なぜ、そのような表現になるのでしょうか?
川野:
そもそもスケルトンの緊張感を経験できるのはスケルトンをやっている人だけですし、その中でも感じるプレッシャーは一人ひとり違うと思うんです。例えば、応援してくださる人が増えて結果を出したいと思えば、それがプレッシャーに変わることもあります。その大きさも、背負っているものも人によって違いますよね。
スケルトンはハイリスクな競技である分、うまくいった時に返ってくる達成感も大きいです。そういうプレッシャーや緊張感を含めて、他の人は感じられないものだと思うので、「自分だけの特権」だと表現しました。
中山:
川野さん自身は、レースに向けてどのように緊張感が高まっていくのでしょうか?
川野:
もともと大会でもあまり緊張しないタイプですし、前日まではほとんど緊張しないですね。ただ、前日の夜は意図的に大会のことを考えて、一度心拍数を上げるようにしています。緊張したらあまり良いことがないので、わざと緊張する状態をつくっておくことで、当日はある程度落ち着いて入れるようにしています。
中山:
緊張を待つのではなく、前日に自分からつくっているのですね。具体的にどのように緊張感を上げるのでしょうか?
川野:
イメージトレーニングですね。例えば、自分の実力なら20位だとしても、もしかしたら表彰台に立てるかもしれないとイメージすると、本当に心拍数が上がってドキドキするんです。逆に、100人中90位を想像してもそこまで心拍数は上がらないと思います。
中山:
なぜ、緊張を意図的に扱うようになったのでしょうか?
川野:
野球をやっていた時の経験が大きいと思います。僕はスケルトンよりも、野球の緊張感の方が苦手でした。特に代打の時は本当にドキドキしていました。スタメンで出ると分かっていれば、ある程度は準備できます。でも、メンバーは当日に分かることが多いですし、試合に出ていないところから急に代打で呼ばれると身体がこわばりすぎて、うまく力を発揮できないことがありました。なので、自分の中では緊張に対して、あまり良いイメージがないんです。
アドレナリンを出すための高揚感と違うというか、臆病さからくる緊張感は良くないと思っています。それを当日に感じるのが嫌なので、前日に一度、自分で緊張する状態をつくっています。
中山:
スケルトンでは、高揚感はありながらも、実際に滑る時には冷静さが必要になるのでしょうか?
川野:
そうですね。結局、自分で操作しながら滑るので、冷静でいないといけません。ボブスレーとは少し違って、スケルトンはかなり冷静でいないと本当に危ないので、滑っている時は冷静ですね。
中山:
リスクがある分、返ってくる達成感も大きいとおっしゃっていました。川野さんがスケルトンで最も達成感を感じるのは、どのような瞬間ですか?
川野:
スケルトンは、成功したと感じられる瞬間があまり多くない競技だと思っています。大会で勝つとなれば優勝ですし、表彰台に立てる選手も限られています。競技を始めてから5、6年ほどは表彰台に立てず、ほかの選手が表彰台に立つ姿を見て羨ましいと思う時間の方が長い選手もいます。
僕は日本選手権で2連覇することができましたが、だからこそ勝った瞬間はすごく嬉しいです。それ以外でも、滑走しながら模索して、自分で組み立てたプランによって速いタイムが出た時には達成感があります。
最初の頃は、安全に滑り切るだけでも達成感がありました。でも、だんだん勝つことを考えるようになって、今は他の選手よりも速いタイムでゴールできた時に、より達成感を感じますね。
中山:
勝利や表彰台を経験できる選手が限られる中で、それでも競技を続ける原動力は何なのでしょうか?
川野:
やっぱり勝ちたいですし、自分が一番になりたいという気持ちはあります。心が折れそうな時もありますが、僕は他の選手と比べて競技歴が圧倒的に短いです。スケルトンは、野球のように、始めてすぐに活躍できるというより技術を身につけるために何百本と滑らなければいけません。しかも、身体への負担も大きいので、一日に滑れるのは2、3本程度です。
たくさん滑ればすぐに上達できるわけでもないので、最短ルートがありません。競技歴が浅いことを言い訳にはしたくないのですが、「まだ大丈夫」「いつか見てろよ」と思いながら続けています。
中山:
一日に滑れる本数が限られている中で、競技歴による経験の差を埋めるためにはどうしていますか?
川野:
ソリを毎回部屋に持って帰って、実際に乗りながらイメージトレーニングをしています。滑走中も、頭の中でイメージしていたものと実際の感覚をすり合わせながら滑っているので、質の高いイメージトレーニングができれば、実際の一本に近い練習にもなると思っています。
あとはコースを歩いた時にできるだけ情報を集めたり、他の選手の滑走を見たりしています。実際に滑れる本数が限られているからこそ、それ以外の時間でどれだけ理解を深められるかが、差を縮めるためには大切だと思っています。
中山:
イメージトレーニングは、一度にどのくらい行うのでしょうか?
川野:
一回一回、かなり疲れるんですよ。100本もできるわけではないので、実際には4、5本くらいですね。

中山:
実際の滑走も一日2、3本程度ということでしたが、スケルトンではどのような疲労を感じるのでしょうか?
川野:
まず首にすごく負担がかかります。頭を支えながら滑るので、首が疲れてくると顔が下がってしまいます。あとは、重力による身体への負担と、脳味噌の疲労ですね。130km/h以上で滑りながら、カーブごとに感覚や直感で判断して、操作を選択し続けています。
滑走が終わった後は、コーチからは携帯を触らずに、一度脳を休めようと言われていて、30分くらい何もしない時間をつくることもあります。それくらい脳に刺激が入っているんです。
脳が疲れるという感覚はなかなか伝わりづらいと思うのですが、スケルトンをやっていると本当にそう感じます。滑り終わった後は思考停止というか、考える力が落ちてしまうような感覚がありますね。
中山:
瞬間的な判断を繰り返すことで、脳にも大きな負荷がかかっているのですね。130km/hを超える滑走では、体感速度も相当なものなのでしょうか?
川野:
以前、F1の選手が話していたのですが、130km/hほどで走るボブスレーでも、体感速度は200km/hを超えるらしいです。スケルトンはそれよりも顔が地面に近いので、300km/hを超えるような感覚なのではないかという話を聞いたことがあります。それくらい、体感としては速いですね。
【Code.3 - COGNITION】ハイリスクの先にある勝機───未来につなげる攻めの選択
中山:
川野さんにとって、スケルトンという競技はどのような「ゲーム」だと捉えていますか?
川野:
「ハイリスク・ハイリターンなゲーム」です。
中山:
なぜ、そのように表現されたのでしょうか?
川野:
まずハイリスクという部分では、死と隣り合わせのような競技だということです。今のところ大きな怪我はしていませんが、僕はメダルを取っているような選手たちと比べれば、まだまだ競技経験が浅いです。より難しいコースになれば、一つのミスが滑れなくなるほどの怪我につながる可能性もあります。
その一方で、うまく滑り切れた時に返ってくるものも大きいです。例えば50人出場していたら、どれだけ速い選手でもミスをして大きく順位を落とすことがあります。逆に、自分がうまく滑ることができれば、自分よりレベルが上の選手にも勝てる可能性があります。
今年からワールドカップに出る予定ですが、僕は懸けるものがないというか、背負っているものが少ないと思っています。トップを走っている選手は、世界ランキングが下の選手に負ければ失うものが多いです。その点、僕はまだ思い切って勝負できる立場にいます。
賭けのゲームという表現が正しいかは分かりませんが、自分よりもレベルが上の選手にも勝てるチャンスがあるという意味で、「ハイリスク・ハイリターンなゲーム」に近い感覚がありますね。
中山:
ここまでのお話を聞くと、スケルトンのリスクには身体的な危険だけではなく、結果を求める中で生まれるプレッシャーも含まれているように感じます。川野さん自身は、そうしたリスクをどのように捉えていますか?
川野:
もちろん、リスクはあまり取りたくないです。ただ、期待されたり、プレッシャーが大きくなったりするということは、それだけ自分のレベルが上がって、応援してくれる人も増えたということでもありますよね。今後自分のレベルが上がれば、そういうものを背負って戦うことになると思います。僕はかなりポジティブに考えるタイプなので、リスクを感じること自体にも意味があると思っています。
中山:
危険そのものを求めているわけではなく、結果を求める上では、取らなければいけないリスクもあるということでしょうか?
川野:
そうですね。例えば、スケルトンはスタートで6、7割くらい決まると言われています。スタートから本気で攻めれば、それだけミスする可能性も上がります。反対に、安定を取りたければ少し抑えてスタートすることもできます。でも、トップに入ろうと思ったら、そこで攻めなければいけません。僕の感覚では、一位以外はあまり意味がないというか、一位を狙わないと競技者として失格だと思っています。
そう考えると、リスクは常に付き物です。それでも、勝つためには攻めなければいけません。
中山:
状況によってあえてリスクを抑えるのは、具体的にどのような場面でしょうか?
川野:
そうですね。スケルトンは2本の合計タイムで順位が決まるので、例えば1本目で断トツの一位になっていて、2本目は失敗さえしなければ優勝できるという状況なら、また話は変わります。そういう時以外は、基本的に攻めていきますね。

中山:
では、リスクを取って攻めるかどうかを決める時、川野さんが大切にしている基準は何でしょうか?
川野:
去年も実際にそういう場面がありました。1本目のスタートでミスをしてしまって、後がない状態になったんです。スケルトンは1本目で大きくミスをすると、2本目でどれだけ速いタイムを出しても、一位や二位まで戻るのはかなり難しいです。その時はスタッフとも開き直って、どうせ無理だし、2本目でもう一度失敗しても結果はそこまで変わらないと話して、思い切って攻めることを選びました。
中山:
結果だけを考えれば、無理にリスクを取らない選択もできたと思います。それでも攻めたのは、なぜだったのでしょうか?
川野:
同じような状況は、この先も絶対に来ると思うんです。その時に困らないような投資ではないですが、常に経験値の引き出しをできるだけたくさん持っておきたいんです。引き出しが多ければ多いほど、いろいろな状況に対応できます。
中山:
目の前の結果だけではなく、リスクを取った経験自体が、先につながっていくということですね。
川野:
そうですね。先のことを考えなければ、勝つのは無理だからここでリスクを取る必要はないという判断になると思います。ただ、ワールドカップやオリンピックでも、同じような状況はあると思うんです。例えばオリンピックは4本滑りますが、1本目でミスをしたとしても、その時点ですべてが終わるわけではありません。
安全に滑って少し順位を上げるだけでは意味がないというか、まだチャンスがあるなら攻めていきたいんです。将来的には、そういう判断が必要になると思っています。
【Code.4 - VISION】知らない競技から、見たくなる競技へ───地上波にスケルトンが並ぶ未来
中山:
この競技を続けていった先に、どのような状態や景色に辿り着いていたいと考えていますか?
川野:
「一人でも多く、競技を知る人が増えている状態」です。
中山:
そう思うようになったのは、どのような経験からなのでしょうか?
川野:
今、日本にはスケルトンの滑走コースが一つもないので、練習するためには海外へ行かなければなりません。競技人口が少なければ競技自体も発展しづらいですし、日本における競技価値もなかなか上がっていきません。一方で、ヨーロッパには何千人もの競技者がいる国もあります。競技の価値が上がれば、そこで戦う選手たちの価値も上がっていくと思っています。
以前、とあるミーティングで札幌へのオリンピック招致について話を聞く機会がありました。仮に将来、日本でオリンピックが開催されることになったとしても、開催が決まってから競技人口を増やそうとしても遅いと思うんです。だからこそ、今から競技を知ってもらう必要があると感じています。
それと、もともと野球をやっていた時以上に、個人競技を始めてからは応援してくださる方の力を実感するようになりました。海外遠征にどれだけのお金がかかっているのかも分かりますし、自分一人の力だけで競技を続けられているわけではないことを強く感じます。支援してもらうことだけが目的ではなくて、まずは純粋にスケルトンという競技を知ってもらいたいです。
また、実際にやってみて分かったのですが、スケルトンは身体的に誰でもできる競技ではありません。もちろん、どの競技でもメダルを取ることは簡単ではありませんが、スケルトンはそのレベルが違うなと感じます。その難しさも含めて、もっと多くの人に知ってもらいたいですね。
中山:
実際に競技を経験している川野さんだからこそ、スケルトンを知らない人に魅力を伝えるとしたら、何を挙げますか?
川野:
たくさんあります。スピードがどれくらい出るのかといったことは、調べればある程度分かると思うんです。でも、僕が実際にやってみて一番感じたのは、想像以上にフィジカルが求められる競技だということです。
以前、僕のヘルメットをデザインしてくださった方から聞いた話が印象に残っています。その方は、さまざまなオリンピック競技のヘルメットを手掛けているのですが、競技関係者が集まった場で最もフィジカルが求められる競技は何かという話になった時に、ほぼ全員がスケルトンの名前を挙げたそうなんです。
ボブスレーも壁にぶつかりますが、選手はソリに守られています。一方、スケルトンは自分の身体で衝撃に耐えなければいけません。誰にでも簡単にできる競技ではないということは知ってもらいたいですが、知ってもらった上でやってみたいと思う人が増えてほしいですね。
中山:
競技を知ってもらうために、川野さん自身はどのような役割を担っていきたいですか?
川野:
まずは今の時代なので、SNSを通じて競技を広めていきたいです。できれば、自分が結果を出した上で発信していけるのが一番だと思っています。あとは、スケルトンやボブスレーの体験会が商業施設などで開かれることもあるので、実際に競技に触れてもらえる機会も増やしていきたいですね。
以前、石川県の能登へ復興支援に行った際には、活動をしながら競技を知ってもらう機会もありました。そういう形で競技を広めながら、社会に貢献していくこともできると思っています。競技を続ける上では、本当にいろいろな方に支えてもらっています。海外遠征に行くにしても、自分だけの力で行けているわけではありません。だからこそ、応援してくれている人たちへの感謝は忘れたくないですし、自分が結果を出した時ほど、そういう活動にも積極的に参加したいと思っています。競技を知ってもらうことも含めて、そういう面からまず貢献できたらと思います。
中山:
体験会では、実際にソリに乗ることもできるのでしょうか?
川野:
そうですね。レールのようなものにローラーがついていて、実際に走ってソリに乗り、そのまま少し滑って終わるような形です。実際のコースを滑走することはできないので、短い距離になりますが、ソリに乗る感覚は体験できます。
中山:
実際に滑る楽しさは、身近なもので例えるとどのような感覚に近いですか?
川野:
ジェットコースターなどに近いと思います。ただ、壁にぶつかると痛いというだけです。
中山:
そうした競技の面白さも、まず知ってもらわなければ伝わらないですよね。川野さん自身が野球からスケルトンへ転向したからこそ、ほかの競技をしている選手にスケルトンを知ってもらうことにも意味がありそうです。
川野:
そうですね。僕自身、競技転向して初めて気づいたのですが、球技と、それ以外のオリンピック競技の間には大きな壁があると感じています。僕も野球をやっていた頃はスケルトンを知りませんでしたし、ボブスレーのこともほとんど知りませんでした。同じスポーツの世界にいても、知らない競技はたくさんあります。
野球をやっている選手の中にも、身体能力が高いのにその力を生かせる別の競技を知らないまま競技生活を終える人がいると思うんです。僕からするともったいないなと感じる選手もいます。僕自身が野球からスケルトンへ転向したからこそ、そういう選手たちにもこんな競技があると宣伝していきたいですね。

中山:
では、どのような状態になった時にスケルトンを取り巻く景色が変わったと実感できそうですか?
川野:
オリンピックでスケルトンが地上波放送されるようになったら、景色が変わったと感じると思います。今はYouTubeやTVerなどで見ることができますが、テレビの番組表にスケルトンと書かれていたら、それまで競技を知らなかった人も何だろうと興味を持つかもしれません。
例えば北海道出身の選手が出場していれば、北海道の方が地元の選手が出ているなら見てみようと思うかもしれません。そうやって、これまでスケルトンと接点がなかった人にも競技を知ってもらえると思います。僕自身、今年のオリンピックに出場した知り合いがいたので、当然見ようと思って番組表を探したんです。でも、どこにもスケルトンと書いていなくて調べたら、TVerでライブ配信されていました。その時に、テレビではやらないのかと思ったんです。今の若い世代は携帯で見る人も多いと思いますが、テレビをよく見る世代もいますし、テレビで見たことがきっかけで誰かとの会話につながることもあります。そういう広がりを考えると、できれば地上波で放送されるようになってほしいですね。
あとは今は、知り合いの選手が始めたYouTubeを手伝うなど、自分たちでも競技を伝える活動をしています。2030年に実現できるかは分かりませんが、遅くとも2034年頃には、オリンピックのスケルトンが地上波で放送されるくらいまで競技を広めていきたいと思っています。
中山:
川野さんのお話を聞いたからこそ、数年後に番組表でスケルトンという文字を見つけたら、僕もテンションが上がりそうです。その時、川野さんがどんな景色を見せてくれるのかも楽しみにしています。今日は貴重なお話をありがとうございました!
川野:
ありがとうございました!
【After Dialog】
最高時速140km。体感速度300km。前方がほとんど見えない中で、川野隼はその瞬間の最善を選び続ける。その判断を支えているのは、特別な感覚だけではない。事前に考え得る選択肢を増やし、実際に経験した成功も失敗も、自分の中に残していく。彼が経験値の引き出しと呼ぶものは、極限の一瞬で迷わず選ぶために積み重ねてきた、自分なりの判断材料なのだろう。だからこそ、リスクを取ることも、単なる勝負強さや大胆さとは少し違う。目の前の結果だけを見れば必要のない挑戦でも、その経験がいつか大きな舞台で一つの選択肢になるかもしれない。今の自分にできることだけで勝負するのではなく、未来の自分が選べるものを増やしていく。その姿勢が、競技歴の差を埋めながら世界へ挑もうとする彼の現在地を形づくっている。そして、その視線は自分の競技人生だけに向いているわけではない。野球から転向した自身がそうだったように、知らなければ、スケルトンは選択肢にすらならない。だからまず、知ってもらう。いつか番組表にスケルトンの文字が並び、それをきっかけに誰かが競技と出会う。その未来もまた、彼がこれから増やそうとしている新たな選択肢なのかもしれない。見えないコースの先へ進むために、選べるものを増やしていく。それは彼自身にとっても、スケルトンという競技にとっても変わらない。『Dialog Code』
答えは、すぐには見つからないかもしれない。それでも自分と向き合い、考え続けることが、次の一歩をつくる。思考を解き明かす対話は続く。次は、誰の思考に触れようか。

【Athlete Profile】
川野 隼(かわの・はやと)
2001年7月20日生まれ、北海道出身。
スケルトン選手。日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟所属。
小学3年生から大学まで野球に打ち込み、東海大学在学中にJ-STARプロジェクトへ参加。スケルトンへの適性を見込まれ、大学3年時から野球と並行して競技を始める。大学卒業後、本格的にスケルトンへ転向。2024年全日本プッシュスケルトン選手権で2位、2025年で初優勝を果たした。海外にも活動の場を広げ、2025-26シーズンにはカナダ・ウィスラーで開催されたノースアメリカンカップや韓国・平昌でのアジアカップなど国際大会に出場している。【Dialog Partner】
中山 知之(なかやま・ともゆき)
1995年1月26日生まれ、愛知県出身。
株式会社Athdemy 取締役CCO。
JFAアカデミー福島や世代別日本代表、海外リーグでのプレーといったアスリートとしての原体験を起点に、人間の「状態」と「パフォーマンス」の関係性を探求し続ける。異文化圏での教育コンサルタントや、国内大手不動産テック企業でのセールス/マネジメント経験など、多様な環境の中で「変化が生まれる構造」に向き合ってきた。現在はAthdemyにて、トップアスリートとの対話(Dialog)を通じて思考や感情に伴走。一貫して問い続けているのは、「人はどのような状態で本来の力を発揮するのか」。競技とビジネス、国内と海外といった境界を横断しながら、個人の内面にある思考や感情を言語化し、新たな気づきを共に生み出している。

