Dialog Code
『“中途半端な理由はいらない”──十種競技の美学とロス五輪への挑戦』右代啓欣 # Dialog Code
2025/10/08

「対話が変われば、スポーツはもっと変わるのか?」強くなるために必要なのは、トレーニングや技術だけではない。自分自身と向き合い、考え、気づくこと——それが次のステージへ進む鍵になる。『Dialog Code』—— アスリートたちの言葉から、その可能性を探るシリーズ。
今回登場するのは、右代啓欣(陸上十種競技選手・株式会社エントリー所属)。
さあ、彼の思考を紐解いていこう。

1. 憧れと必然──導かれた陸上の世界
中山(Dialog Partner):
これまで多様なスポーツに取り組んでこられたと思うのですが、陸上をはじめ、他のスポーツとの最初の出会いについて、特に幼い頃の記憶に残っている景色は何ですか?
右代:
僕がスポーツを本格的に始めたのは小学校3年生の頃です。出身である北海道の江別市は当時ドッジボールがとても盛んで、単なる遊びではなく、12人制で全国大会も開催されるような本格的な競技でした。ただ、当時30人ほどいた部員が6年生の頃には8人程度にまで減ってしまって、チームを解散せざるを得なくなったんです。
中山:
なるほど。そこで別の競技にも挑戦されたんですね。
右代:
それで新しいクラブを探した時に出会ったのが「タグラグビー」でした。僕はそこでキャプテンも務めながらプレーして、北海道大会で常に2位から4位の成績を収めるようなチームで活動していました。北海道内では結構有名なチームだったと思います。
中山:
そこから陸上に出会うまでの流れについても教えていただけますか?
右代:
陸上を始めたのは中学1年です。きっかけは両親も陸上をしていたという背景もあるのですが、一番大きかったのはやはり兄の存在ですね。兄は高校時代にインターハイで準優勝していて、その姿を小さい頃から見ていたので、「自分も兄と同じ競技をやりたい」と思い、迷わず陸上部に入部しました。
中山:
小さい頃から兄を見て育った環境も大きかったのですね。
右代:
兄弟の影響は大きくて、小さい頃から兄や姉の試合を見に行くのが当たり前でした。だから自分にとって陸上は自然とやるものだと思っていたんです。中学時代、当時はまだ十種競技がなくて、100m・幅跳び・走り高跳び・800mなどを組み合わせたものでした。中学2年生の頃から身体も競技に対応できるようになって、本格的に取り組み始めました。その後、高校では「八種競技」、大学では「十種競技」という流れです。
中山:
動機はやはり「兄と同じことをやりたい」という気持ちが大きかったのでしょうか?
右代:
そうですね。小学校5年生の時、兄がインターハイで2位になって、その姿が北海道のスポーツ新聞の一面に大きく載ったんです。それを見て「なんてかっこいいんだろう。自分もお兄ちゃんみたいになりたい」と強く思いました。その時の衝撃は今でも鮮明に覚えていて、僕にとってとても大きな出来事でした。
2. 悔しさが生んだ“問い”──“陸上とは何か”

中山:
中学から陸上を始められて、嬉しい記憶として残っている場面はどのようなものですか?
右代:
嬉しい記憶を挙げると最近の日本選手権ですね。それ以外の過去の記憶は嬉しいとか楽しいという記憶よりも、どちらかというと苦しくて辛いという記憶の方が多いですね。
中山:
なるほど。当時の学生時代を振り返ると、喜びや楽しさよりも、苦しさや辛さの方が強く印象に残っているということですね。
右代:
そうですね。当時はそれが当たり前の感覚でした。結果はすぐに出るものではなくて、苦しいし辛い日々の連続でした。ただ、中学時代には北海道大会で優勝することもありましたし、高校でもインターハイに出られる位置にいました。兄が活躍していた影響もあって、周囲から「お前も強くなるだろう」と先生やコーチも期待を持って接してくれたので、結果的にやりやすかったと思います。だからこそ、トレーニングや生活の中で辛いことがあっても続けることができました。
中山:
周囲からの期待が、結果的に自分の中でひとつの報酬となり、頑張り続けるエネルギーになっていたのですね。
右代:
そうだと思います。

中山:
では、「あの出来事はきつかった」「あれは本当に悔しかった」ことは何ですか?
右代:
一番悔しかったのは、やはり高校時代のインターハイにまつわる出来事ですね。高校1年の時は、インターハイ予選の前日に急性腸炎になり、試合に出場することすらできませんでした。2年の時には北海道で2位に入ってほぼ確実にインターハイに行ける状況だったのですが、その予選の直後に学校を辞める決断をしたんです。自分の意思で環境を変えた形です。
中山:
なるほど。結果的に1年、2年ともに出られなかったのですね。
右代:
はい。そして最後の3年生で東京高校に転校して、日本でもトップレベルの地区で戦いました。そこで3位に入り、ようやくインターハイへの切符を掴んだんです。ただ、その本番の1週間前にまた腸炎を患ってしまって、緊急手術が必要になったんです。ドクターストップも当然出たのですが、指導者から「どんなに強くなっても、インターハイという舞台に立てるのは今回だけだ」と言われて。どうしても出たいという気持ちで、お腹に包帯を巻き、その上からゴムベルトを二重に巻いて体を固定して無理を承知で出場しました(笑)
中山:
それは本当に過酷な状況でしたね(笑)
右代:
もちろん結果は全く伴わず、「インターハイの舞台に立った」という事実だけが残りました。でも、それが一番悔しくて。
中山:
その時の経験は、右代さんにどのような気づきを与えましたか?
右代:
初めて「陸上って何だろう」と考えるようになったんです。楽しくやるという感覚から、本気で取り組むという方向に変わった。結果は出なかったのですが、悔しさと同時に「もっと強くなりたい」と思わされた大きな経験でした。
中山:
1年生の時は病気で出場できず、2年生は学校を辞めて出られず、3年生でようやく掴んだ切符の直前にまた病気。その時に「自分は向いていないかも」「もう諦めよう」と思うことはありませんでしたか?
右代:
それは一度もなかったですね。北海道で陸上をやっていた頃は、自分の中での“本気の基準”が低すぎたと思います。自分では頑張っているつもりでも、他の人から見ればそうではなかった。
中山:
なるほど。周囲から見た基準とご自身の基準に差があったわけですね。では、それでも続けられた理由はどんなところにあったのでしょうか?
右代:
当時はそれでも楽しかったし、大学に行けば「東京で兄と一緒に練習できる」という希望もあったので前向きでいられたんです。
中山:
希望があるからこそ、苦しい中でも続けられたんですね。上京してから何か変化はありましたか?
右代:
高校3年で上京して、ラストのインターハイに挑んだ時に初めて「日本一の陸上」という未知の世界を知りました。毎日必死に取り組み、出場するごとに自己ベストを更新できたんです。仲間との絆も深まって、先生との信頼関係も築けた。陸上を通して自分の成長を実感できたので、「もう無理かも」と思ったことは一度もなかったですね。
中山:
成長を実感できたことが、大きな原動力になっていたんですね。
右代:
もちろん苦しくて辛い時期はありました。でもそれ以上に楽しかったんです。インターハイの結果はダメでしたけど、その舞台に立てたこと自体が大きな財産になりました。そして大学に進んだら「どこまで強くなれるのだろう」という期待の方が大きくなっていったんです。だから、辞めたいと考えたことも一度もないですね。
3. 最強の団体競技──仲間と引き出す限界
中山:
これまで「成長の実感」や「仲間との絆」「先生との信頼関係」などが報酬になっていると感じました。そうした仲間との関係性を通じて、陸上という競技にどのような魅力を感じてこられたのでしょうか?
右代:
陸上は一般的に「個人競技」と言われますが、大学時代に恩師から「陸上は最強の団体競技なんだ」と言われたことがありました。最初は「個人競技なのになぜ団体競技なんだろう」と思ったのですが、続けていくうちにその意味が理解できるようになりました。

中山:
「最強の団体競技」という言葉、すごく印象的ですね。実際にどんな場面でそれを強く感じられたのでしょうか?
右代:
陸上は種目こそ違いますが、練習は仲間と一緒に行います。サッカーや野球のようにパスを回したり連携プレーをしたりするわけではないですが、例えば数人で一緒に走ったり、複数の組で競い合ったりする。その中で「一人ではもう限界だ」と思う時でも、みんなでやっていると「負けたくない」「もう一本いこう」という気持ちが湧いてくるんです。
中山:
なるほど。一人では出せない力を、仲間と一緒だからこそ引き出せるわけですね。
右代:
心の中では「きつい、やめたい」と思っていても、仲間が走っている姿を見ると「自分もついていかなきゃ」と自然に奮い立つ。後輩に弱いところを見せたくない気持ちもあって、互いに無言で背中を押し合いながら引き上げ合える。そういう力が陸上にはあります。
中山:
確かに、そうやって互いに引き上げ合えることは団体競技に近い感覚ですね。
右代:
もちろん一人で練習する日もありますが、やっぱり難しさがありますね。仲間がいるからこそ自分を限界まで追い込める。その環境があるからこそ、「今日やり切った」という達成感や充実感に繋がるんです。
そして練習が終わった後に「今日はしっかりやったな」と感じられる。話が遠回りになりましたが、それが陸上の魅力に直結していると思います。
中山:
なるほど。仲間がいることで「自分を追い込める」「楽しさを感じられる」という側面があり、だからこそより大きな達成感や充実感が生まれ、自分の限界を超えられる感覚なのですね。
右代:
そうですね。

4. 「命かけてやってるか?」──基準を変えた兄の問い
中山:
指導者や仲間との会話、その中で受け取った言葉をしっかり覚えておられる印象があるのですが、学生時代に指導者や仲間、あるいは周囲の大人からかけられた言葉の中で、今も競技人生に強く残っているものはありますか?
右代:
そうですね…一番印象に残っているのは、兄から言われた言葉です。僕が大学生の時に、「お前、命かけてやってるか?」と言われました。
その頃、兄はすでに日本記録を持っていて、僕も一緒に練習をしたりアドバイスをもらったりしていたんです。兄からは「お前が俺の日本記録を超えるんだ」という期待もかけられていました。でも僕にとっては兄というより師匠であり、レジェンドのような存在でした。
だからその言葉を投げかけられた時、兄の取り組みを間近で見ていて「命をかけている」とは到底言えませんでした。頑張っているつもりでしたけど、兄の基準と比べたら僕の物差しはあまりにも短かった。僕が全力だと思っていた取り組みは、兄にとっては最低限でしかなかったんです。

中山:
その瞬間、どんな気持ちでしたか?
右代:
近くに日本記録保持者がいて、強くなるための道筋を示してくれていたのは、どう考えても恵まれすぎている環境でしたが、近すぎて気づけなかった。当時はただ「何も言えない」と思うだけでした。その言葉を受けてすぐに劇的に変われたわけでもなく、練習量や取り組み方、体のケアの仕方、お金の使い方まで、兄とはすべてが違っていました。
中山:
具体的には、どういった違いを感じていたのですか?
右代:
例えば「おしゃれな服を買いたい」といったことを優先してしまい、競技に投資することができないとか。「何もかも足りない」と分かっていながら、どう修正すればいいか分からず、曖昧なまま数年を過ごしてしまったんですよね。
でも3年前にオーストラリアに行った時、ふと兄のその言葉を思い出しました。そしてようやく真正面から競技に取り組めるようになったんです。その姿勢が、今の結果につながったのだと思っています。
中山:
結果を求めるという観点で考えると、兄は最高のパートナーであり、同時に目指すべき指標でもあったのですね。「命をかけてやってるか」という問いが、長い時間を経て再び自分を奮い立たせる言葉として戻ってきたわけですね。
右代:
そうだと思います。
中山:
つまり、右代さんの中で“頑張る”という物差しそのものが大きく変わったのですね。当時を振り返って、具体的にどんな基準の違いがあったのでしょうか??
右代:
当時は身体能力に頼って競技をしていました。技術的な要素も多少はあったと思いますが、「なぜその記録が出たのか」「どう修正すれば次は成功するのか」といった言語化や再現性がなかった。感覚的にやっていた部分が大きくて、結果的に身体能力でカバーしていただけだったんです。
中山:
なるほど。身体能力や感覚でカバーしていて、言語化や再現性を出すための思考がなかった。
右代:
もう一つは、競技にどれだけ自己投資できるかという点ですね。身体のケアなどに投資することはできなかった。お金の優先順位が「競技」ではなかったんです。兄はすべてを競技に注いでいましたが、僕にはまだまだできることがたくさんあった。そこが大きな違いでしたね。
5. 肉体と精神──十種競技が求める究極の両輪

中山:
十種競技のトレーニングに向き合う中で、それぞれのバランスや順序、期間など、どのようなことを意識して設計されているのでしょうか?
右代:
年間を通じて継続的に練習をしているのですが、陸上は3月から10月までがシーズンで、十種競技は主に4月から7月に集中しています。なので、11月から3月上旬までは冬季トレーニングの期間で、身体づくりとパワー強化を目的に練習量を増やして、午前・午後の二部練習を行います。ここでどれだけ積み上げられるかが翌年のシーズンに直結する形ですね。
中山:
シーズン中はまた違うアプローチになるのでしょうか?
右代:
シーズン中は技術練習が中心になります。例えば、1日中トレーニングする日もありますが、出力を意識したスプリントを1〜2本やるだけで終えることもあります。種目数が多いので、1日に何種目もこなすことは難しくて、最大で3種目程度。集中力や質を考えると2〜3種目が限界です。1週間を通して10種目すべてに触れられるように計画しています。
中山:
なるほど。その中で種目によっての得意・不得意もあると思うのですが、力を入れるバランスや優先順位はどのように決めていますか?
右代:
僕はもともとバランスタイプで平均値が高い方なのですが、基本的には全種目を底上げしたいと考えています。例えば体重を軽くすれば走り高跳びは有利になりますが、その分投擲が弱くなる。そのバランスが難しいところです。学生時代のように2か月後の試合に間に合わせる短期的な目標なら、得意種目をさらに伸ばした方が効果的な場合もあります。ただ、社会人として日本選手権で優勝を目指す立場では、苦手種目を避けるわけにはいきません。
中山:
世界を見ても、苦手種目がない状態を目指している選手が多いのでしょうか?
右代:
はい。海外のトップ選手を見ても、苦手種目がない選手が活躍しています。世界を目指すなら、そこを意識する必要があると感じていますね。

中山:
面白いですね。まさに“総合力”が求められるわけですね。では、仮に砲丸投げでフォーム改善に課題が出てきた場合、その改善のために取り組んだことが他の競技にも影響する、ということもあると思うのですがそういう時はどのように取り組まれるのですか?
右代:
競技歴が長くなるほど自分で理解できる部分が増えるのですが、大学時代は種目が増えたばかりで、助走の歩数や踏み切りの位置などを細かくノートに書いて整理していました。例えば走り幅跳びなら、僕は18歩なので約38m。その中でラスト5歩は9mくらいに印を置いて、そこからどう加速するか、どう身体を起こすか、空中でどう動くか。そういうことをすべて書き出すとノートが埋まるくらいです。
中山:
10種目すべてを整理するとなると、膨大な情報量ですね。
右代:
10種目となると本当に膨大で、意識すべきことが多すぎて忘れてしまうこともあります。経験を積むにつれて、紙に書かなくても自然に理解できることが増えてきましたが、それでも試合中に歩数を間違えるような単純ミスをしてしまうこともあるんです。
中山:
なるほど。数センチ、またはコンマ何秒を争う世界だと考えると、そうした細かい積み重ねが勝負を分けそうですね。試合前日や当日にはどんな準備をされるのですか?
右代:
試合の1か月前から食事を意識して整えます。1週間前からは疲労を溜めずにキレを残しつつパワーを発揮できる状態を作ります。2日前には現地入りして、現地ではリラックスを大事にしてお風呂に入ったり映画を観たり。前日は身体に刺激を入れるために朝から競技場でドリルや軽めの練習を2時間ほど行って、お風呂には浸からずシャワーで済ませます。当日は競技開始の2時間前からアップを始めて、その2時間前に食事を済ませて準備します。
中山:
2日間にわたって5種目ずつ行う過酷な競技ですが、競技の合間にはどんなことを考えているのでしょうか?
右代:
自分の“集中力”と“自信”を保つことを大切にしています。例えば1種目目でうまくいかないと気持ちが崩れてしまうことがあります。ここを切り替えることが大事なので、あまり記録やポイントを自分で見たりしない方がいいと思っています。余計な雑念を持たず、淡々と次の競技に向けてやるべきことをやる、というスタンスで挑んでます。
中山:
気持ちの切り替え、思考の切り替えは、十種競技ならではの大きな課題ですよね。仮に望んでいない結果になり、雑念が生まれても、意図的に無視をすることで次に臨むのですね。
右代:
そうですね。逆にいい時も、流れを作る上でいかに冷静になれるかも大事ですね。
中山:
その場合はどのように抑えるんですか?
右代:
余計なことは考えず、常に「今の種目に集中する」と決めています。例えば100mが良かったとしても、次が砲丸投げなら「砲丸投げに専念する」と切り替えるようにしています。
中山:
経験を積んできたからこそ遮断することが上手くなってきたりしている部分もあると思うのですが、これまでのプロセスでその切り替えに苦悩したり、難しさを感じることはありましたか?
右代:
ありましたね。昔は大事な大会で、上手くいかないけど最後までやらないといけない時に難しさもあって。大学で教えられたことは、代表として出場させてもらっているという責任と、応援してくれる人たちの存在が自分に火をつけてくれること、それによって底力が出るということを学びました。
中山:
責任と、応援してくれる人の存在が、最後の力を引き出すのですね。
右代:
個人競技なので、応援する側はチームではなく、その人を応援するんですよね。なので、その人がやる気のない姿や途中でもう無理だと諦めたら、せっかく会場に時間とお金をかけてきているのに応援する人がいなくなってしまうんですよ。失望させたくないという気持ちをどれだけ持てるのかも大事だと思っています。それがあるとどんな選手でも底力がついてくると思います。

中山:
十種競技は全てを平均的にこなす競技だと思われる場合もあると思いますが、右代さんにとって十種競技という競技は何を極めることだと思いますか?
右代:
難しい質問ですね…。フィジカルと精神、その両方を極めることだと思います。例えば100mでスピードを極めれば、400mやハードル、走り幅跳びにもつながります。それは間違ってないことなんですが、海外の選手を見ると、体重100kg以上で2mを超える走り高跳びを跳ぶ選手がいるんですよ。日本では60〜70kg台の選手でしか達成できていない高さを、彼らは技術に加えて圧倒的なフィジカルでこなしている。
僕はDK・メトカーフというアメフト選手が好きで、彼は100kgあっても100mが10秒16くらいで走って、実際に全米選手権にも数年前に出場したりもしてるんですよ。あれだけの身体で俊敏に動くことができる。いわゆる中途半端に体重をつけちゃいけないとかは、ただ自分がやらない理由をつけているだけだと思うんですよね。もちろん人種や骨格ということもあるので同じようにはいかないかもしれないですが、近づくことはできると思うんです。なのでフィジカル的なところでは化け物みたいな身体を作ることが大事で、「中途半端な理由をつけてはいけない」と思っています。
中山:
フィジカルを極めることは、まさに世界を目指すために不可欠なのですね。精神面ではいかがですか?
右代:
精神面では、自制心や自律が不可欠です。十種競技は特に種目数が多いので人より練習量はどうしても多くなります。チームの仲間が帰った後も十種競技の自分は残ってやり切る。その姿勢を貫けるかどうか。プロとして責任を持ち、決めたことを守り抜けるか。十種競技は、肉体と精神の両面を極めて初めて成果が出る競技だと思います。
中山:
伺っていると、「走る・跳ぶ・投げる」という基礎的な要素を極めることと同時に、自制心や規律といった精神的な部分も極めていく必要があるのですね。どちらか一方が欠けても結果にはつながらない。お話を聞いて、その厳しさと奥深さがよく伝わってきました。
6. リスペクトという作品──十種競技が教える美しい戦い
中山:
最後に未来について伺わせてください。もし十種競技を1つの作品にたとえるなら、右代さんはそこで何を最も表現したいですか?
右代:
難しい質問ですね(笑)十種競技の魅力にもつながり、世界陸上やオリンピック、日本選手権でもそうですが、“リスペクト”ですかね。
中山:
どういうことでしょうか?
右代:
十種競技では、試合後に全員で手をつないで観客席にお礼に行くんです。世界大会では5〜6万人の観客の前で、30人ほどの選手が手をつないで400mトラックを1周します。これは他の種目ではなかなか見られない光景だと思います。競技中も同じで、誰かが良い跳躍をしたら「いいね」と声をかけたり拍手を送ったり。時にはアドバイスをし合い、互いを褒め讃えることもあるんです。

中山:
ライバルでありながら、同時に仲間でもあるわけですね。心の中では「負けたくない」と思っていても、表では称え合う関係性がある。
右代:
そうなんです。もちろん心の中では「自分より良い記録を出してほしくない」と思うこともありますが、それでもリスペクトし合えるんです。この舞台に立つために、どれだけ苦しいトレーニングを積んできたかを理解しているからこそできることなんだと思います。これは十種競技を通して表現できる“リスペクト”で、スポーツマンシップのあるべき姿だとも思います。
中山:
とても素敵なお話ですね。“競争”と言うと、互いに足を引っ張り合うイメージもありますが、裏の努力を理解しているからこそ、相手への賞賛や敬意のある振る舞いにつながる。勝ちたい気持ちと同時に、高め合う関係があるわけですね。それは本当に美しい競争だと思います。
右代:
そうですね。スポーツだからこそ許される衝突や感情のぶつかり合いもありますが、社会ではそれが必ずしも許されるわけではないと思います。だからこそ、感情をコントロールしながら相手を評価する姿勢が大切で、十種競技を通して学んだことは社会の中でも活かせると思っています。そういう意味でも、十種競技はとても魅力的な競技です。
中山:
本当にそうですね。その光景を実際に競技場で見たくなりました。
右代:
世の中では、何をするにしても「何か1つに絞って極めるべきだ」とよく言われますよね。でも十種競技は10種で1つの競技で、僕にとってはそれが魅力的なんです。100mだけに取り組めば100mを極められるかもしれませんが、僕たちは100mだけでは輝けない。そういう選手が十種競技に集まっているんです。
例えば走り高跳びでは日本一にはなれない、砲丸投げでもそう。でも十種競技なら日本一になれる。これは自分が戦うフィールドを選び直すことで拓ける可能性だと思います。大変さはありますが、もし1つの競技で輝けなくても、十種競技で輝ける選手もいる。だからこそ「選択肢を広く持ってほしい」とも思います。
中山:
なるほど。1つを極める美学もあれば、複数を掛け合わせて勝負する世界もある。どちらも価値のある挑戦ですよね。働き方やキャリア選択においても、同じことが言えると思います。
右代:
まさにそうですよね。

中山:
最後に、十種競技で日本一をとった今、これから追いかけたいものは何ですか?
右代:
2028年のロサンゼルス五輪です。僕は31歳で日本一になったのですが、これは過去の例を見ても遅い方です。20代後半には挫折もありましたが、オーストラリアで再起し、ようやく“本気”で“楽しい”と思える環境を得ました。この3年間は本当に死ぬほどきつくて、でも死ぬほど面白かった。毎年自己記録を更新し続け、31歳になっても進化を続けてこれています。だから「無理かもしれない」ではなく「絶対に行ける」という自信を持ってここまでやってこられました。
中山:
具体的には、どんなステップを踏んで五輪を目指していくのでしょうか?
右代:
まずは、来年のアジア大会で日本代表になること、翌年の世界陸上で日本代表になること、そしてロサンゼルス五輪に出場すること。この3つを目指しています。アジア大会で良い順位を取れれば世界陸上にもつながる。ようやくスタートラインに立てたと感じています。
中山:
本当に楽しみです。ぜひ目標を一つひとつ達成していく姿を見届けたいですし、心から応援したい気持ちになりました。本日はありがとうございました。
右代:
ありがとうございました!

写真提供:
@exp.kodama
@AN_photo_sally
答えは、すぐには見つからないかもしれない。
それでも自分と向き合い、考え続けることが、次の一歩をつくる。
思考を解き明かす対話は続く。
『Dialog Code』——次は、誰の思考に触れようか。
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